朝日新聞の慰安婦報道の訂正を受け、池上彰さんが同じ朝日新聞の「新聞ななめ読み」というご自身のコラムに朝日新聞の姿勢に対する意見を書いたところ、掲載が見合わされました。これに対し、池上彰さんは朝日新聞に連載の中止を申し入れました。そして最終的には朝日新聞社のお詫びと共に池上彰さんのコラムが掲載されました。
池上彰さんのコラムには朝日新聞の慰安婦問題の報道に対して「過ちがあったなら、訂正するのは当然。でも、遅きに失したのではないか。過ちがあれば、率直に認めること。でも、潔くないのではないか。過ちを訂正するなら、謝罪もするべきではないか。」と書いています。さらに「今回の検証は、自社の報道の過ちを認め、読者に報告しているのに、謝罪の言葉がありません。せっかく勇気を奮って訂正したのでしょうに、お詫びがなければ、試みは台無しです。」「新聞記者は、事実の前で謙虚になるべきです。過ちは潔く認め、謝罪する。これは国と国との関係であっても、新聞記者のモラルとしても、同じことではないでしょうか。」と朝日新聞に対して謝罪、反省を求める内容でした。
客観的に見ても厳しく責任を追及するような内容ではなく、あえて掲載に躊躇するような内容でもないと思います。朝日新聞は一般には中道左派、革新、リベラルといわれ、比較的中立の立場で多くの報道を行い、権力に対する抑止力の役割を担ってきました。池上彰さんという人柄が公になっている方の意見を自身のコラムで発表することは、よほどのことが無い限り制限を受けるべきではないと思いますし、朝日新聞のこれまでの実績から考えても非常に乖離があります。
言論の自由に関してはジョン・スチュワート・ミルという人が「自由論」の中で「意見の発表を禁じることは人類全体が被害を受ける。その時の世代だけでなく、のちの世代も被害を受ける。そして、発表を禁じられた意見を持つ人以上に、その意見に反対する人が被害を受ける。その意見が正しかった場合、自分の間違いを正す機会を奪われる。その意見が間違っている場合にも、間違った意見にぶつかることによって、真理をそれ以前よりしっかりと、活き活きと認識する機会を奪われるのだから、意見が正しかった場合とほとんど変わらないほどの被害を受けるのである。」と書いており、意見を自由に発表し制限するのは同じ意見でも、違う意見でも同じく不利益となると謳っています。そして、自由な意見が発表された結果「人類全体で見た時、合理的な意見や、合理的な行動が多数占めているのはなぜか?人間の知性と道徳心のうちすぐれた部分の源泉である点、つまり、間違いを改められる点によるもの。人は議論と事実によって自分の誤りを改めることが出来る。」といっています。
池上彰さんはコラムが掲載された際に「過ちを認め、謝罪する。このコラムで私が主張したことを、今回に関しては朝日新聞が実行されたと考え、掲載を認めることにしました。」と意見を述べています。論語で「過ちて改めざる、是を過ちという」といっているように私たちの昔からの課題です。