今年のノーベル賞が発表されました。日本からは大村智北里大特別栄誉教授(80)が医学・生理学賞、梶田隆章東大教授(56)が物理学賞を受賞しました。日本は20世紀に入って15名、米国に次いで2位の受賞数です。大村先生は抗寄生虫薬イベルメクチンを開発し、毎年2億人に投与され多くの人を救っています。梶田先生はスーパーカミオカンデの観測でニュートリノに質量があることを明らかにし、それまでのニュートリノには質量が無いとされていた常識を覆しました。
報道では彼らの業績をたたえるとともに、いかにして大きな成果を上げられたかについて生い立ち、人となりを紹介していました。ある番組では二人に共通したのが幼少時の英語教育だったので英語教育が良いなどという珍解説もありました。ノーベル賞を受賞した人によく見られる共通点としては「変人」と言われている事が多いように思います。偉大な業績を実現するためには社会的な責務もかなり切り詰めなければいけないという事だと思います。ノーベル賞、変人で検索すると白色LEDの研究でノーベル物理学賞を受賞したした中村修二さんをはじめ、小柴昌俊さん、田中耕一さんなど多くの偉大な変人がいます。今回受賞した大村さんも「北里大の3奇人」と呼ばれているそうです。我々の社会は奇人・変人に対して寛容であると言えます。
また、ノーベル賞受賞者はすべて国立大学出身ですが、自然科学分野21人のうち最難関の東京大学出身者は4名だけです。東京大学の入学者が年約3000人ですが国立大学に広げると約10万人と非常に広い裾野に対して可能性があるということになります。研究には知識(学力?)が必要である点は議論の余地はありませんが、受験という答えが決まっている評価軸だけでは測れないことが良くわかります。実務においては気の遠くなるような研究が当然必要ですが、少なくとも自然科学における研究環境は非常に開かれていると言えます。
我々の社会が繁栄できたのは交換と分業に拠ると言われています。分業に依って個々の仕事が専門化し、生産性の向上が図れます。分業された専門分野に変人研究者も含まれ、ノーベル賞をはじめとする様々な研究や新たな仕組みを創造し、巡り巡って我々の生活を豊かにします。自然科学の分野においては際立った変人研究者が学歴などの単純化された基準にとらわれず成果を出せる環境が、この日本にあります。これは我々が誇るべきことであり、ノーベル賞をはじめスポーツ分野など様々な分野での日本人の活躍を自分のこととして喜ぶべき理由でもあります。
分業と言っても交換が成り立たなければ意味がありません。つまり相手にとって価値のある成果を提供して初めて分業、交換が成り立ち価値の循環が始まります。残念ながらこのような本質が理解されていないケースが見受けられます。最近のマンションのくい打ち偽装などもお客様の価値を全く考慮せず自分の責任を顧みず、その場のストレスを回避するために偽装し、結果として非常に大きな問題となってしまいました。東洋ゴムの免震データ改ざんなど社会的に評価の高い会社で往々にして起きてしまいます。人は変わることを拒みます。分業が確立しその後合理化が進むと全体像が見えずらくなってしまい、身近なところしか目が届かなくなり、保守的・閉鎖的な内向きの分業となってしまいます。その結果、創造の芽をつぶしてしまったり、必要な品質が満たせなくなってしまい社会全体が貧窮へと陥ってしまいます。一人ひとりが自分への責任と期待を理解し、他人の立場になってより高い価値を生み出していく気持ちを持ち、外向きの分業を心掛けることが大事だと思います。