ロシアのウクライナ侵攻が始まってから平和を願って千羽鶴を折る人が増えていて、一部の人は在日ウクライナ大使館に届けています。これらの行為に対して「善意の押し付け」「意味がない」などの批判も出ています。
「鶴は千年、亀は万年」と言われるように、鶴は縁起の良い鳥とされてきました。『日本大百科全書』「千羽鶴」の項目に「古い社に奉納されている昔の額などに千羽鶴の絵をみることができる。また、折鶴を祈願の意で社寺に奉納する風もあった。」とありますように、もともとは祈願の意味を込めていました。現在は平和の象徴としても認識されています。1945年8月6日、広島に原子爆弾が落とされました。当時2歳の佐々木禎子さんは被爆しましたが、外傷もなく成長しました。ところが10年後突然白血病を発症しました。禎子さんは病気の回復を願い、一生懸命鶴を折りました。しかし、入院から8ヶ月後12歳の若さで亡くなってしまいました。この死をきっかけに広島平和記念公園に「原爆の子の像」が建てられ、たくさんの千羽鶴が捧げられるようになり、千羽鶴は平和の象徴として知られる様になりました。毎年1千万羽、約10トンも捧げられているそうです。広島市のHPには「折り鶴を「原爆の子の像」へ捧げるために郵送する場合の送り先」というページがあり詳しく説明しています。
第二次世界大戦で被害の大きかった沖縄の沖縄県平和祈念資料館でも千羽鶴の受け入れを行っていますが、「平和教育の一環として、児童・生徒が平和を願って折った千羽鶴の贈呈の申し入れがあった場合」に限定しています。郵送や宅配便等では受け入れておらず、贈呈者が持参し、自身で捧げる必要があります。
在ウクライナ日本大使館のHPではウクライナの贈り物が紹介されています。ウクライナでは幸福の祈りを込めた贈り物としてウクライナのイースターエッグ「ピーサンカ」を贈るそうです。
ナターシャ・グジーさんというウクライナ出身で日本で活動している音楽家がいます。1986年彼女が6歳のとき父親が勤務していてたチョルノービリ(チェルノブイリ)原子力発電所が事故を起こし、わずか3.5kmのところで被爆しました。2000年に来日し日本語を学びながら音楽活動を始めました。来日したばかりの頃、佐々木禎子さんの親類は、禎子さん自身が1955年に折った1羽の鶴を彼女に贈りました。この16年後チョルノービリ原発事故30周年、福島第一原発事故5周年を記念したウクライナと日本の平和交流プロジェクトの一環として、平和の象徴として、またウクライナと日本の間の相互理解の象徴として、禎子さんの折り鶴をウクライナ大統領夫人に手渡しました。この折り鶴はキーウ(キエフ)の国立チョルノービリ博物館に所蔵されています。
在日ウクライナ大使館のツイッターには人道支援の寄付に関する情報があります。ウクライナ政府は公式ツイッターで暗号資産での寄付を呼びかけていて、5週間で1億ドル(129億円)相当の寄付を受け取ったそうです。平和を願う気持ちは非常に尊いことは言うまでもありません。その上で、相手の立場、気持ちをよく考えた上で自分ができることを実践することが大切だと思います。