桜宮高校生の自殺を発端に体罰が日本柔道、スポーツ界を巻き込んだ議論になっています。皆さんも体罰の是非に関しては思うところがあると思います。
私の育った環境には身近に体罰があったせいか、極端な拒絶反応はありませんでした。“悪いことをしたのだから仕方ない”、“期待に沿えなかったのだから仕方がない”などと体罰はよくないと思う反面、受ける側にも非があり、ある程度は許容されることなのだろうと思っていました。これは社会心理学における「認知的不協和」として解釈していたのかと思います。矛盾する事柄を抱えた時に、不快感を感じ、行動・解釈などを変化させ、この場合体罰の正当化を指します。
江森一郎という教育を研究している大学教授の著書に「体罰の社会史」という本があります。この本では古くは江戸時代の寺子屋から現代の教育までを取り上げています。江戸時代は体罰は(ほとんど)なく、むしろ子供を甘やかしていたそうです。明治時代以降の戦争の際に軍隊の規律を守るために行われた軍隊教育が戦後の教育、スポーツの指導に入り込んだとのことでした。
確かに体罰(暴力や強い言葉を含む暴言)を実施すれば、表面的には収まり、指示に従うのかもしれません。しかし、本質的な解決にはなりません。一度でも威圧的な行動・態度を受けると硬直・委縮した人間、組織となってしまいます。指導、管理を任されていれば想いがつのったり、思うとおりにならず感情的になることもあるかもしれません。感情的になった勢いでの暴力・暴言は一番避けなければなりません。特に未成熟(弱い、自信のない)な組織、人はともすると暴力・暴言で人を従わせようという傾向があるように思います。悪意のある行為、罪に対しては感情を伴う一時の暴力でなく、相手、コミュニティにあった相応の処罰が当然必要だと考えます。指導、管理で一番大事なのは本人の自覚を促すことです。一人ひとりの長所を把握し本人と共有したうえで可能な限り伸ばしてあげる指導や環境作りを進めていきたいと考えています。